なぜ若い2人の門出をなぜ快く送り出してやれないのか?
親の責任を子どもが取るべきなのだろうか…
小室さんと眞子さまの結婚報道のなかで浮かび上がった様々な疑問。しかし、これは日本に住む限り他人事ではありません。
ここでは小室さんと眞子さまに対する一連の報道に見られた、日本特有の婚活事情について考えていみたいと思います。
結婚と家制度

そもそも日本における結婚という制度は、個人と個人の結びつきというより、家同士の結束が主となっていた歴史があります。
明治の家制度に代表されるように、日本人は個人の考えより家の存続を重視したのです。
「政略結婚」という言葉があるように、結婚をお家存続のためのツールにするようなことも普通にありました。
そこではもちろん、個人の「好き」、とか「一緒にいたい」という思いはないがしろにされました。
現在でも続く家制度

時が変わって令和の時代はどうでしょうか。
ほとんどの人が自分の好きな人と自由に付き合って結婚 (または離婚)しているイメージがあります。そこには家制度など、一見忘れ去られたかに思えます。
しかし、ちょっと考えてみてください。
例えば、ドラマの一場面で、結婚を決意した青年が、相手女性の実家に行ってその父親に「お宅の娘さん僕に下さい」と頭を下げるくだり。これは明らかに家制度の名残であると言えます。だって、相手の家長である父親に頭を下げて、しかも娘を(自分の家に)下さい、とまで言っているんですから。
まぁ、これはドラマであるし、今日どれだけの男子が相手の父親に実際頭を下げてるかはわかりません。
しかし、私たち日本人の頭の中に、「結婚は相手の家の許しを得て初めて成り立つもの」という考えが確かにしっかり根付いているのは確かでしょう。
婚活における家制度の弊害

私たち日本人の頭に刷り込まれている家制度ですが、結婚をするうえで弊害となることがあります。
それはお見合(ファーストコンタクト)の段階で「この人を親が見たら前思うだろう」と、自分ではなくまず親基準で判断してしまうことです。
令和の時代でも、意外と親基準で判断するひとは多いのではないでしょうか。
「結婚することになったらどうせ親に会わせるんだし、最初から親基準で判断して何が悪いのか」との声もあるでしょうが、親基準で判断すること自体が悪いのではなく、その順番が問題なのです。
まずは自分がどう思うか。その上で親基準で判断するべきなのです。
最初から親がどう思うかに拘っていると、いつまで経っても相応しい結婚相手に巡り会えない可能性すらあります。
家フィルタと婚活

結婚に際して「お家」の問題が持ち上がってくるのが、特殊な家業の人たちです。
例えば歌舞伎役者などは「梨園」と言われるように、一般社会とは異なる特殊な環境に身を置いています。
当然そこに妻として入る場合は、梨園のルールを理解し順応し、夫を支えられる人ですないと勤まりません。
ですから歌舞伎役者が婚活をする場合は、お家に馴染んでくれそうな人の中から相手を選ばないといけなくなります。
まあ歌舞伎役者は身近になかなかいないので、宗教で考えてみましょう。
何かしらの宗教を持っているお宅は意外と多いと思います。大衆に馴染みのある宗教の場合はあまり大きな問題になりませんが、新興宗教の方で、自分より「お家」を優先するとしたら、婚活が非常に難しくなるでしょう。
というのも、まず「お家」のフィルタをくぐり抜けられる相手がほとんどいないからです。
その他、ご自宅に介護が必要な親御さんを抱えている場合や、実家が農家で跡を継ぐのが決まっている場合などは、家フィルタを通して相手を選ぶ必要性に迫られることでしょう。
しかし、家のフィルタを通してからの相手選びとなった場合、十中八九婚活は長引きます。
何故なら、自分の想いよりお家フィルタを優先すると、出会いの受け皿が狭まり、結果的に会える相手が少なくなるからです。
結論

一見自由に思える日本において、その実まだまだ家制度や家フィルタ的考えが横行しています。その中で、真の意味で自由に婚活することは非常に難しいことです。
小室さんと眞子さまは周囲の「家フィルタ」からくる批判を受けながらも無事ご結婚されました。私は個人的にこのニュースを非常に嬉しく感じました。
お二人が、自分たちの思いに率直になることの大切さ、家制度や家フィルタに縛られるバカバカしさを伝えてくれたのです。
これから婚活をされる方は是非参考にしなければなりません。
いつの時も自分の気持ちに正直にいてください。
親や周囲を気にし過ぎないで下さい。
時には家を放り出す覚悟も必要です。
婚活はあなた自身のためのものです。
あなたが幸せになれば家族も幸せになります。
決して逆ではありません。
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