どうも。元婚活冒険家で社会福祉士のジローです。
突然ですが、皆さん人生うまく進んでますか?
この質問に迷わず「はい」と答えられる人はスゴイと思います。
と言うのも、新型コロナや戦争・地震など災難がオンパレードの現世で、順調な人はそんなに居ないと思われるからです。
わたしくしジローも、仕事や子育てで困難な問題にぶち当たっては心が折れそうになる毎日です。
でもなんとか前向きに生きています。
それは「明日は今日よりも良くなる」となんとなく信じているからです。
けれどそんなわたしも数年前まで「人生消化試合」が口癖の超ネガティブ人間でした。
考えてみるとわたしが多少ポジティブに変わったのは、婚活経験の影響が大きいと思います。
ここでは、人生消化試合だった筆者が自身の経験を交えながら、そこから抜け出した方法をお伝えしたいと思います。
現在婚活中の方や現在絶賛消化試合中の方。暇つぶしに読んで頂ければ幸いです。
そもそも消化試合とは

消化試合とは元々スポーツで使われていた言葉です。
例えばプロ野球ではペナントレースの順位が確定したシーズン終盤、ただ消化するためだけに行われる試合を指していました。
消化試合は選手やチーム全体のモチベーションも下がっており、観客が少ないのが特徴です。
このことから、一般的にも「重要なイベントが過ぎ去った後の無目的な行為・行動」に対して、消化試合という言葉が使われるようになりました。
これがさらに発展して「人生」そのものにも取り入れられるようになったのです。
誰もが人生消化試合に陥る可能性がある

次に人生を消化試合に陥れる重大イベントの例を↓に挙げたいと思います。
- 虐待
- イジメ
- 受験失敗
- 就活での失敗
- 失恋
- 離婚
- リストラ
- 大切な人の死
これを見るとかなりネガティブなワードばかりです。
でも人生を消化試合に陥れるのは実際大抵ネガティブなイベントなのです。
良い出来事の結果、消化試合に陥ることはほとんどないと言ってもいいです。
例えばわたくしジローも、結婚が破談になるという重大イベントがありました。
この件の詳細は以下の過去記事に書いていますので興味のある方はどうぞ。

消化試合から抜け出した筆者の経験
ここからはわたし自身の経験についてお伝えしたいと思います。
年収200万円以下の非正規社員だったわたし
プロフィールにも書いていますがわたしは34歳ころまで年収200万円以下の極貧生活をしていました。
手取りにすると月に13万円くらいの給与です。そこから家賃の6万円と食費など生活費を差し引くと手元に残るお金はもちろん殆どありません。
当然飲み歩いたり遊びに出掛けたりもできず、旅行なんて夢のまた夢でした。
ただ、「人生消化試合」だったわたしは特に向上心もなく、「別にいいや。。。」と半ば投げやりに生きていたのです。
28歳で始めた婚活
そんなわたしは無謀にも28歳の頃からいちおう婚活をしていました。
と言っても時々婚活パーティーに参加するような緩い婚活です。
人生消化試合とか言ってる癖に、「あわよくば良い人と出会いたい」という気持ちだけはあったのです。
なぜ28歳から婚活をはじめたかと言うと、その時父親の体調が急に悪くなったからです。わたしの父は心臓を患い、暗に医者から「長生きはできない」と言われてしまったのです。
18歳で実家を出て、それまで親孝行らしいことを何一つしてこなかったわたしは、「親父に最後せめて孫を抱かせてやりたい」と思い婚活を始めることにしました。
考えればこれがわたしにとって人生の消化試合から抜け出すキッカケとなりました。
婚活での洗礼
けれどもちろん、婚活パーティーでうまくいくハズもありません。
収入、身長、学歴。何もないわたしを受け入れてくれる女性など皆無でした。
なかなかショックでした。
婚活でうまくいかないというのは、人間性をすべて否定されたような気分になるものです。
実際、プロフィールカードの年収欄を見た女性からこんな事を言われました。

えっ、年収200万って…バイトですか? マジウケるんですけど(笑)

…
。。。絶句です。
たまりかねて時々収入を誤魔化して参加したこともありましたが、すぐに虚しくなって辞めました。
なけなしのお金をパーティーに注ぎ込んでいたわたしは、嫌でも「このままでは絶対に上手く行くはずない」と思い知らされたのです。
大学入学
30歳の時、わたしは増収のため転職しようと思い立ちます。
しかし、求人広告を見ても普通科の高卒で非正規雇用経験しかない自分に、良い待遇の求人などもちろん有りません。というか、自分が就ける求人数そのものが少ないことに愕然とします。
仕事をほとんど選べない状態だったのです。
わたしは、「これは自分が高卒だからだ」と結論づけました。
(考えてみたらかなり安直ですよね。)
でもその時のわたしは本気でそう思っていました。
大卒の方はわからないと思いますが、高卒の大卒に対する劣等感というのはなかなか大きいものです。
そしてわたしは30歳で福祉系の通信大学に入学することになります。
かなり思い切った決断です。
福祉系の通信大学を選んだ理由は以下です。
- 入試が簡単(作文を書くだけで入れます)
- 授業料が安い(4年で50万くらいだったと思います)
- 学期末の試験が在宅で受けられるので通学しなくて良い(4年間でスクーリング授業は10日くらいでした)
- 元々介護経験があったのでそれを活かせると思った
- 卒業すればなんとなく就職先がありそうだった
30歳からの大学生活
もちろん働きながら勉強するのはそれなりに大変な日々でした。
周囲の人にもよくバカにされました。
「えっ、なんで今更?」
「入るの簡単かもだけど、そんなの卒業出来るわけ無いじゃん」
「金と時間の無駄だよ」
いろんな人にいろんな事を言われました。
けれどわたしは特に気にしませんでした。何故なら、彼らはわたしの人生を生きていないし、何の責任もないからです。
ただ、いちおう社会福祉士養成課程だったので、4年次の1ヶ月実習はホントにキツかったです。実習そのものや課題もさることながら、そもそも仕事を休むのが大変です。
わたしは無理くり職場に事情を説明し、許可を得ました。そして有給休暇と土日を活用して実習に充てました。
実習中の1ヶ月半くらいほぼ休みなしでフル稼働した記憶があります。
また、授業や実習だけではなく国家試験の勉強を同時にしなければならなかったのでその辺は大変でした。
わたしを突き動かしていた原動力は「父親に孫を抱かせてあげたい」という思いでした。
もちろん「バカにした奴らを見返してやりたい」という気持ちもめちゃくちゃありました。
(この時点でもはや消化試合ではなくなっていますね。)
そして、その気持ちのお陰で最後まで継続することができました。
4年後の34歳時に無事に卒業し、社会福祉士の国家試験もなんとか合格する事ができたのです。
満を持して(?)の転職活動
転職活動もなかなかに苦労しました。
というのも福祉系の求人は需要が多いので数はあるのですが如何せん給与が低いのです。
(大学に行く前に調べとけよって…)
そもそも、収入を上げるために大学卒業し国家資格まで取ったのにそれではなんの意味もありません。
わたしは社会福祉士が就ける仕事を徹底的に探しまくりました。
転職活動の中で分かったのは規模の大きい病院や社会福祉法人ならある程度給与が高いということです。
そういうところは採用試験でペーパーテストを課しているところが多いです。簡単に入れるところよりも間口が小さい会社の方が待遇が良い、という当然のことをその時思い知りました。
わたしはその中から更に給与が高くて働きやすそうなところをいくつか応募しました。
救いだったのは福祉業界の採用は面接重視という事でした。
「働きながら大学に行って資格を取りました」と言うと、大抵「おっ、コイツやる気あるな」と、好印象を与えられたのです。
そのお陰で5つくらい応募してなんとか1つ採用を勝ち取りました。
その法人が現職です。
年収は一気に500万円になったので、ざっと300万円の増収に成功したことになります。
職業が安定してからの婚活
36歳になってからわたしは本腰を入れて婚活を始めました。
この時わたしはそれまでの自分に無かった自信が付いていることに気付きます。
その自信を3つ挙げてみます。
- 学歴が大卒になった自信
- 正社員になり収入が上がったことの自信
- 大学を卒業し増収するという当初目標を達成した自分への自信
特に3の目標を達成したことへの自信は大きかったです。
自分が掲げた目標をちゃんと達成できたのはその時が初めてかもしれません。
自信を持って婚活をすると良い効果がいろいろあります。
例えば自然と笑顔を作れたり、積極的に異性に話しかけられたり。などなど。
わたしの婚活はそれまでとは打って変わって順調に進みました。
マッチングアプリでは時々詐欺師に捕まったりしましたが。。。
(興味のある方は以下の記事を参照して下さい。)

妻との出会いと妊活
そして紆余曲折を経て、現在の妻と出会うことになります。
出会った当時、わたし36歳、妻38歳です。
さすがに「子どもは難しいかな…」と思いました。
でも、諦めきれなかったわたしと妻は、結婚直後からネットで妊活マニュアルなるものを読み漁り、良いと思うことはなんでもしました。
妻は妻で子どもをスゴく欲しがっていたので、私たちの団結力はかなり強かったです。
その結果、有難いことに早々に子宝に恵まれました。
程なく、わたしは当初の念願だった、父親に孫を抱かせるミッションを無事にコンプリートすることが出来たのです。
人生の消化試合から抜け出すために

わたしはこうして父親の病気がキッカケで始めた婚活を機に、あれよあれよと言う間に事が運んで、最終的に人生の消化試合を抜け出す事ができました。
またまだ若輩者で未熟なわたしですが、こうした自身の経験から「人生の消化試合」から抜け出すための方法を3つ挙げたいと思います。
成功体験を積み重ねる
人生の消化試合から抜け出すためにな、成功体験(喜べる体験)を積み重ねることが絶対に必要です。
例として、ここで取り上げたわたしの成功体験を纏めると↓になります。
- 大学卒業する
- 国家試験に合格する
- より収入の高い職場に転職する
- 結婚する
- 子どもを授かる
- 父親に孫を抱かせる
もちろんこれらの成功体験は単純に運が良かったこともあります。
ただ、一つずつ成功体験を作っていく事で好循環が生まれ、「結果的に運が良くなった」とも言えると思うのです。
また、成功体験を積み重ねると、「次にやることも成功できるかも」と前向きな気持ちで新たなことにチャレンジできるようになります。
そして、どんどんとステップアップして次第に大きなことをやり遂げる力になると思うのです。
わたし自身、「人生消化試合」と何事もヤル気を出さずに嘆いていた頃から比べるとかなり成長している実感があります。
初めから多くを望まない
人生の消化試合から抜け出すには、初めから多くを望まないということが大切です。
人間どうしても周りの成功している人や幸せそうな人と自分とを比較しがちです。けれど、初めからそんな人と比較すると無力感に苛まれたりヤル気が無くなってしまいます。
多くを望むということは、「ハードルを上げる」ということと同義です。初めから自身に高いハードルを課すと、気持ちが折れてしまうのは当然です。
例えば、わたしの経験から言うと、初めから無理に収入の高い会社に転職しようとせずに、まずは誰でも入れる通信大学に入って大卒資格を取ろうとしたことが結果的に良かったのです。
一見回りくどいようにも思えますが、急がば回れです。登山でも急斜面を登るより、緩やかな山道を回り込んだ方が確実で安全です。
そして道はどうあれ、結果的に大学を卒業することでわたしは増収するという目的を達成しています。
このように人生は急ぎ過ぎずにじっくり一つずつ着実にタスクをこなしていくほうが最終的に良い結果に繋がったりするものです。
わたしは30歳で大学入学しています。何歳から何を始めても遅いということはありません。
逆風を力に変える
なにかを真剣にしようとする時、必ず反対したり馬鹿にしたりする人がいます。
アンチはなにかを真剣にしようとすればするほど多く現れるものです。
人生の消化試合から抜け出すためには、その声に流されてはいけません。むしろ、それは頑張っている自分に対する妬みであると理解しましょう。
捉え方一つで反対意見やストレスは行動の原動力にもなります。わたしも婚活で相手にされなかったり、大学入学をバカにされたことで一気にやる気に火がついた感じです。
ということで今まで自分をディスってくれた人にはホントに心から感謝しています。
彼らがいるから今日の自分があるのです。
また、「自分なんてどうせできっこない」と、肝心の自分自身がもっとも「アンチ」になってる人も珍しくありません。特に人生の消化試合に陥っている人はそういう人が多い印象です。
しかし、誰しも何もできないことなんて絶対にはありません。
できないとすれば最初から「できない」と自分自身に暗示をかけているからです。
これを機にまずはその意味不明な暗示を解くことから始めましょう。
最後に
わたしの父親はこの3月に亡くなりました。
子どもが生まれてわずか半年後のことです。
大好きな父親だったのでとても悲しかったですが、なんとか一つ親孝行をすることができてホッとしている自分もいます。
ここではかつて「人生消化試合」だったわたしの経験を踏まえて、消化試合から抜け出すための方法について説明させて頂きました。
「人間万事塞翁が馬」と言います。
人生悪いことばかりではありません。粘り強く生きていれば必ず良い事があります。
現在「人生消化試合」と投げやりの方も、是非粘り強く、小さな成功体験を積み重ねていって頂けたらなと思います。
皆様の人生に幸運がありますように。
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