みなさま、婚活は順調でしょうか。
もし、順調でない場合、その原因はもしかしたらあなたがこれまで受けてきた学校教育にあるかもしれません。
婚活と学校教育。一見関係なさそうな両者ですが、実はこの2つ大きく関係しているのです。
今回は学校教育が婚活に与える悪影響について説明したいと思います。
画一的思考を植え付ける

日本の教育はよく言えば「全員に同水準」悪く言えば「画一的」です。
たとえば 制服 。これはもはや画一性の象徴と言えるのでは無いでしょうか。今でこそ明るいカラーのブレザーなども取り入れられていますが、その殆どが今でも黒や紺を基調にしたスタイルです。そこには個性の入り込む余地がありません。
わたしが印象に残っているのは中学生のある時、ドイツから海外研修に来た教師団の一人が教室に座っている生徒達を見て言い放った言葉です。
「今日は葬式があるのですか?」
もちろんドイツ語は分かりませんので後日担任から笑い話として聞いたのですが、わたしはそれに対して「なるほど」と思いました。全員が真っ黒な服を着て、辛気臭い顔で先生の話を聞いている。これはなにか不幸ごとがあったに違いない。ドイツ人はそう思ったのでしょう。うちの担任が「葬式ではないです。服は制服です」と説明してしたところその人は 目を丸くして驚いていました。
制服に象徴されるように、日本人はよくも悪くも全員一緒である事を求めがちです。そのため異質なものや少し変わった人がいると徹底的に排除しようとします。
それが学校でのイジメに繋がったり、マスコミの執拗な袋叩きなどに繋がっているのです。
画一的思考が婚活に与える影響

学生時代に培われた画一的思考が婚活にどう影響を与えるのかというと、みんな「ふつう」の人を求めてしまうということです。
そんなに贅沢は言わない。顔はそこそこ、中肉中背、特別優しくなくて良いけどきつい性格は嫌、収入もそこそこでいい。
こんな希望を持った人たちが婚活市場には溢れています。
しかし、現実はどうでしょうか?ふつうの人など果たしているでしょうか?みんな何らかの個性を持った人たちで、受け入れやすい部分、受け入れにくい部分を持っていると思います。
しかし、「ふつう」が良いと思い込んでいる人たちは、標準からはみ出た個性をなかなか認められないのです。結果的に良い人が見つからない となり、婚活は難航します。
優劣を明示しない

学校教育のダメなところは、ちゃんと優劣をつけない、ということです。一昔前の話題ですが、運動会のかけっこで、負ける子がいると可哀想だからといって全員で手を繋いで一緒にゴールする、という対応が注目されていました。
これは象徴的な出来事にしても、とかく学校というのは能力においてもみんな一緒であることを求める場所です。
それも劣っている子のレベルを引き上げるならまだしも、優秀な子を劣っている子に合わせようとするのてすから、居た堪れません。
こうなると必然的に出来る子は頑張らず、出来ない子も頑張らない、という社会にとって最悪の結果が見えてきます。
優劣をつけられずに育った人が婚活に飛び出すとどうなるか

婚活にしても恋愛にしても、人が人を選ぶ限り、優劣を必ずつけられます。そして婚活が就活などと違うのは、特定の技術や知識だけでなく、その人の人間性すべてで評価されるということです。そのため婚活で失敗した場合などは「人間性を否定された」ような非常に辛いショックを受けることがあります。
学校教育で優劣をつけずに育てられた人間というのは、必然的に打たれ弱くなります。打たれ弱い人は婚活ではなかなか成功しません。というのも、婚活では失敗することのほうが多いからです。
「そういうこともあるよね〜」と、フラれても次の日には新たな出会いに向かっていける人が最終的には勝者となるのです。
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指導者が担任1人

日本の小学校ではクラスのほとんどの授業を担任1人が行います。また、授業だけではなく保護者対応や行事ごとも含めて、担任にのし掛かる負担は計り知れません。
このことは生徒側からすると、自分達を見てくれるのは1人の指導者しかいない、ということになります。ですから担任の指導力によって学力に差が出るのは当然ですし、規律やモラルのあり方でさえ担任1人の考え方に大きく影響されることとなります。
わたしが小学生の頃、クラス替えのときは友達とクラスが一緒になるかで盛り上がりました。また、それと同時に担任が誰になるのかも非常に憂慮事項でした。
宿題をやたら多く出す先生、自由時間を沢山くれる先生、優しい先生、短気な先生、いろんな先生がいたからです。
満遍なくいろんな先生と接するなら問題はありませんが、当事わたしの学校のクラス替えは2年に1度しかなかったので1人の先生と一緒になったら少なくとも2年間は変わりませんでした。
苦手な担任と過ごす時間は苦痛のほかに言葉が見つかりません。
このように、幼い頃から1人の人間の管理下に置かれるというのは、学力向上や道徳、情操教育においても決してプラスには成りません。
婚活における指導者が一人であることの弊害

小学校の頃の担任が1人であった日本人は、自分の目上の人間が多少おかしなことを言っても、社会は「そういうもの」と抵抗せず納得してしまう傾向があります。なにせ、社会教育の基礎である小学校時代に担任の意見が絶対であったわけですから。
会社で上司から無理難題を押し付けられたり、パワハラがあとをたたないのも、そうした日本人の特性かも知れません。
1人の人間に服従し、その人の意見ばかりきくというのは、婚活において必ずしも好ましいことではありません。婚活では「この人の言っている方法がダメだったらこっちの方でいく」、というような柔軟さが必要になってくるからです。世の中には実に多種多様な人がいます。ですので婚活の指導者も多種多様であるべきでしょう。
また、婚活相手1人とダメになったからといって失望する必要もないのです。あなたを認めてくれる人は必ず世界のどこかにいるはずです。
閉鎖的

日本の小、中学校は外から人を受け入れる事を嫌います。また、中の情報を外に出したがりません。わたしは個人的にもっと民間人を講師とした授業を進めるべきと考えますが、令和の時代においても日本の学校は教員免許を持った先生のみが教壇に立ち、黒板を基調とした昭和初期と変わらない授業を行なっています。
おそらく、日本の偉い人たちは、「昔からのオールドスタイルこそ正しい」という思い込みがあって、現状を変える気がないのしょう。
加えて、学校内で起こった出来事がなかなか外に伝えようとしないのも憂慮すべき点です。教師の体罰やわいせつ事件、イジメ問題の隠蔽などは数え上げればキリがないほど起こっています。こういった問題は学校という聖域を盾にした閉塞的な思考が原因なのは明らかでしょう。
わたしが中学生一年生のときの実際に起こった出来事を紹介したいと思います。
あるとき、同級生のある生徒の水筒に漂白剤が混入されている事件がありました。仮に一気飲みをしてしまったら死んでしまうような量です。幸い、生徒は飲む前に異変に気づき事なきを得たのですが、もちろんふつうだったら大問題です。しかし、あろうことか学校は警察を呼びませんでした。代わりに全校集会を開いて教頭先生が全校生徒に一言こう言ったのです。
「犯人探しをするつもりはない。こんなことはやめましょう。 以上」
絶句です。
学校には殺人未遂事件を軽やかに水に流してしまう寛容さがあるのだ、とわたしは逆に感心しました。
もちろんこれは30年近く前の話ですので現在では少し違った対応をするのかもしれません。しかし、この事件のように学校は様々な諸問題を内輪のみで話し合って解決しようとする体質があります。それは現在でも大きな違いはないでしょう。
ちなみにこの事件の犯人は不明のままです。
閉鎖的思考が婚活にもたらす悪影響

校則や学校独自のルール(法律)に縛られて人生の大事な時期を過ごしてしまうと、広い視野を持つことや、現状に疑問を持つ能力が発達しません。
もちろん日本は島国ですので、ある程度閉鎖的思考になるのは致し方ないのかもしれません。しかし、かつて江戸幕府が滅びたように閉鎖的思考で居たらいずれ必ず滅ぶのです。
婚活においては、当然のことながら閉鎖的思考では上手くいくはずありません。何故なら結婚や婚活というのは自分自身を開放し、相手の価値観を受け入れていくプロセスの連続であるからです。
そこには「自分のルールはこうだから」とか、「わたしの領域に入ってこないで」といった論理は通用しないのです。そうしたスタンスでいると、必ず失敗しますし、仮に結婚できてもすぐに生活は破綻するでしょう。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
このように日本の学校は婚活にとってマイナスになるようなことばかり教え込んできたのです。あなたの婚活が上手くいかない理由も、もしかしたら日本の学校教育にあるのではないでしょうか。
しかし、心配は要りません。教えられたことと反対の事をすれば良いのです。上に挙げた日本の学校教育の問題点を踏まえて、婚活が成功する方法を以下にまとめます。
- 相手選びは他者基準ではなく自分の心の声に正直に従う。
- 優劣をつけられることを恐れない。フラれても気にせずすぐ次に向かう。
- 一つのやり方でうまくいかなければ他のやり方を試す。多くの人の意見を柔軟に婚活に取り入れる。
- 自己開示し相手の価値観も受け入れる寛容さを持つ。
まさにこれまで受けてきた教育を反面教師とすれば、婚活はきっとうまくいくはずです。
あなたの婚活に幸運が有りますように。
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